網地島発 姥婆すてture・zure

島に住む染物屋の婆々が思いつくくままに

山百合

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かって網地島には山百合の群生地があった。
今は少なくなってしまったが、それでも山に入るとそこかしこに芳香と共に豊満で優美な姿を見ることができる。
県道を歩いているだけで、香りに包まれることがある。
群生していたころの島は、山百合の香りの中にあるようだっただろう。

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日本画の学生だった頃は[仮張り]に礬砂引きした和紙を水張りして画を描いた。「仮張り]というのは和紙に柿渋を塗り重ね、太鼓張りにしたパネルのようなもので、当然、濃い茶色である。
忘れもしない、入学して最初の課題は「白百合]
出来の良し悪しは別にして、なぜか背景を茶色にする学生が多かった。
批評会での教授の第一声は
[なんだ、仮張り色ばかりだなあ・・]
以来、私にとって柿渋の色は[仮張り色]である。

型染めの型も渋紙を切り抜いて作るのだが、今回は渋紙の上に渋紙で作った型を置いて染めてみた。
ややこしいというか無駄なことをするというか…・訳がわからない!

戴いた山百合が数本、今この部屋を妖しい香りで満たしている。

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Jazz

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ドン・ウインズロウの[歓喜の島]を読んだ。
舞台は1958年12月のニューヨーク。ロックフェラーセンターのクリスマスツリーが輝き、ブロードウェイでは[ウエストサイドストーリ-]がロングランを続けている。
そして、ジャズクラブでは、今や伝説となったプレイヤー達のライブ演奏・・・
CIAを退職し民間の調査員となった主人公が、J・F・ケネデイと思しき上院議員とその夫人の護衛を依頼される。
そこからCIA、FBI、KGBもからんだ謀略の渦の真っただ中に巻き込まれていくのだが、ウインズロウはこれを辛気臭いスパイ物やバイオレンス物にはしないのですね。
なんとも洒落た都会小説です。韻を踏んだ言葉遊び、大人のマナー、身に着けるもののセンス、全編を通じて流れるJazzにスモ―キーなマンハッタンの香りが立ち昇る。

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Jazzが聞きたくなった。
昔、Jazz通のボーイフレンドがプレゼントしてくれたコルトレーンをかけた。目を閉じると島の田舎家が消え去り、正装したマンハッタンの夕暮れが浮かび上がる。
なーんてね、恰好いい!!

島でよく戴く魚貝

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幸せなことに捕れたての新鮮な魚貝を戴きます。

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アイナメ、メバル、タナゴ、カレイ、鮃、そして鮑、ツブ貝、ナマコ、ウニ、ほや等々・・・
まるで竜宮城ですね。

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アイナメ・・・水深1mから20~30mまでの岩場や防波堤の捨石のまわり、岩礁やテトラポットの穴などを住処とします。こちらでは(ネウ)とよんだりします。
刺身よし、塩焼、味噌漬けよしと、美味しい魚です。
メバル・・・・暖海性で沿岸の岩礁地帯が住処です。釣り魚としていただくのはこの魚が多いかな。刺身も旨いし煮魚にしたら最高です。
・・・・・ 贅沢でしょう。
三陸で獲れるのはクロアワビだと思うのですが、かたい。歯の丈夫な向きには[水貝」といって賽の目に切り氷水で冷やして食べるのが旨いようですが、私などは[酒蒸し]か「まる煮貝]のほうが・・・・・年寄りです。
口開けの日が決まっていて、それ以外の日に獲ると密漁になります。

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ウニ・・・・・これも開口日にしか獲ってはならないものです。
長渡地区はもぐり漁(島では、くぐり という)網地地区はカギ漁で、獲り方の違いからか開口の日数が異なる。 長渡地区は2・3回、網地地区は頻繁です。
島では「塩ウニ」を作って冷凍保存しますが、これは非常に手間がかかり、私はもっぱらウニ丼、蒸しウニ、焼きウニにして食べます。てんこ盛りのウニ丼、最高です。
ホヤ・・・・・美味しいですねえ。独特の香りと味、一度食べるとやみつき。大風が吹いて波が荒れた翌日、浜に打ち上げられていることがある。そんな時の身には砂が多かったりします。
海中で為す術もなく翻弄されたのでしょうか。ああされたり、こうされたり・・なんてね!
海鼠・・・・・硬くて苦手だったのですが、美味しい食べ方を教わってからすっかりファンになりました。さっと湯にくぐらせて、あまり酢の強くないタレにつけると美味しい。
私の好みですけれど。

     

bird

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ヒッチコックの[鳥」怖かったです。
日常が突然非日常に変わる恐怖を描かせたら、ヒッチコックは抜群でした。今でも電線上にカラスがびっしり並んでいたりすると、あの映画を思い出す。

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牡鹿半島の付け根の[鮎川]は、かっては鯨で栄えた港です。
捕鯨船が並び、大きな解体場があって専門職の男たちが何人もいたたそうです。その解体風景は壮絶だっらしい。
油だけを取ってあとは捨ててしまう外国と違って、日本では鯨の隅から隅まで利用します。肉を食べヒゲ加工し油を取って、皮は干して肥料にする。震災前の鮎川にはヒゲや骨を使った工芸品の店が残っていました。
この解体や皮を干す匂いが、風向きによって網地島にも濃く流れてきたといいます。距離はよくわかりまんが、船で15分の目の前の島ですから当然でしょうね。食を保障されてカラスの数がもの凄かったとか、なかには網地島に住んで、お食事に鮎川まで通ったカラスもいたらしいです。
調査捕鯨だけになって鮎川は寂れ、カラスたちは島に住まいを移したようです。ここには漁師のおこぼれの魚、調理して投げ捨てたアラなど御馳走には事欠きません。
そのせいかどうか、網地島にはカラスがいっぱい!

復活第一弾・ツールドフランス

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ツールドフランス100回記念大会が始まった。
今年は史上初コルシカ島からのスタートです。
6/29からほぼ三週間をかけて、フランスとその周辺国を駆け抜けます。
フランスでは国民的スポーツで、夏のバカンスをキャンピングカーで追っかけの旅をする家族がたくさんます。
ところが肝心のフランス人王者は、1985年のベルナール・イノー以来絶えているのです。フランス人はそうとう悔しい思いをしているみたい。
私が初めてツールを見たのも(テレビですが)イノー総合優勝のこの年でした。イノーっていかにもフランス男という感じでかっこよかった。

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日本人のツール初参戦は1996年第83回の今中大介だとばかり思っていたのですが、実は大正15年(1926)に川室競が参戦しているのですね。第一ステージでリタイアしています。
日本人には体力的にも技術面においてもツールドフランスは絶対に無理だと言われ続けてきましたが、今中を経て現在は新城幸也、別府史之が参戦完走しています。今年も走ってくれるのかなあ。
ロードレースはエース一人がどんなに強くても優勝することはできません。アシストの協力あってこそのエースなのです。とはいえ・・・
いつか日本人選手がエースとなる日はくるのだろうか。
完走するだけで八十数年かかったけれど、いつかきっと・・・新城・別府に続く世代が夢をかなえてくれると信じます。

早々の復活! リセットしました。
スタイルを変えて、異素材での染遊びをしてみようと思い立ちました。
毎回なんて無理だけど、ときどき、なるべく ねっ!
ちなみに今回はトタン板に染めています。
苦労しただけの効果があったのかどうか・・・? でも、楽しかった!