網地島発 姥婆すてture・zure

島に住む染物屋の婆々が思いつくくままに

日本の形

Posted by ichi姥 on   0 comments   0 trackback

おおつごもりです。
[仕事は細心丁寧に、掃除は丸く簡単に]がモットーなので大掃除はチャチャッと済ませて、今年はお節も作らないことにしました。いろいろ作って一人で何日も同じものを食べるのは気が利かない。
   去年今年貫く棒のごときもの
虚子の句が実感できる年齢になりました。子供のころは[お正月なのに何にも変わらない]と焦れて母を手こずらせたものだが、昨日今日で何が変わるわけもなく唯気持ちを新たにするだけのことです。
というわけで、明日からまた気持ちも新たに仕事をします。
ときどき[あー疲れた」などと自分に言い訳をして読みかけの本を盗み読みする。誰が咎めるわけでもないのに変なところで律儀なのです。あとは恒例の箱根駅伝を見るくらい。身の丈のお正月ですね。

PICT0415_convert_20131231122735.jpg

切り紙飾りを作ってみました。私のは大体宮城に伝わるものです。神の憑代であり、結界であり豊作、家内安全の祈りを捧げるもの。昔は各地方により様々な形があったようだが、いまは廃れてしまって飾る家は少ないかもしれない。美しい日本の形は消えていきます。
島の多くの家と同様に我が家にも大きな神棚があるのだが、不信心者なので物入れにしてしまい仕方もなくその下に飾った次第。写真の上部に本来の神棚があります。
でも、手の届く位置でちょうど良かったかも・・・そういうことじゃないでしょ!
   良い年でありますように!

スポンサーサイト

タイムマシーン

Posted by ichi姥 on   4 comments   0 trackback

人は多かれ少なかれ[あの頃に戻りたい]とか「あの時こちらを選択していたら・・」とか「今のこの頑張りは何時か実を結ぶのだろうか?」等と思いを致す。
そんな思いがタイムマシーンやタイムトラベルを生み出してきた。
アインシュタインの相対性理論なんて私にとっては[なんじゃ、そりゃ?]だが、その理論において全面否定されても、いまだに小説、映画の世界はこの夢を追い続ける。だって夢ですもん!
タイムトラベルで生じるパラドックスをいかに処理するかで面白くなったり荒唐無稽になったりするが[バック・ツウ・ザ・フューチャー]などは荒唐無稽さを全面にだして大ヒットしたわけですね。マット・サイエンサー[ドク]がいい味出してました。

PICT0414_convert_20131220121818.jpg

さて、いまステイーヴン・キングの[11/22/63]を読んでいる。まだ新しい本なので内容は明かせないがタイムトラベル物とだけ言っておきましょう。
久々にキングを面白く読んでいる。最近はどうも気持ちが悪くて生理的に受け付けない作品が多かったキングだが、今回は楽しいです。でもその分、真のキングファンには物足りないかもしれない。
タイトルはJ・F・ケネデイが暗殺された日。分厚くて2段組みで、上下巻という大部作です。まだ下巻の途中だが、これからどう展開して結末に持っていくのか・・・・
先日の駐日大使への歓迎ぶりを見ても日本人のケネデイ贔屓はわかるのだが、政治は抜きにしてもジョン・Fは恰好よかった。[あなた自身が国に対して何を為すのか]というあの演説はしびれました。
私、アイリッシュ男って好きです。米国では警官、消防士は圧倒的にアイルランド系が多いのだとか、制服姿の厳つい男たちが整列して[ダニーボーイ]など唄おうものなら・・もう   あらっ、また脱線しちゃった。

フランスの至宝

Posted by ichi姥 on   0 comments   0 trackback

イオン・シネマ本日上映中の映画[利休にたずねよ」[ルパン三世VSコナン」[47RONIN」[REDリターンズ]「SPEC」「キャプテン・フィリップス]「かぐや姫の物語]「すべては君に逢えたから]「くじけないで]「悪の法則]「清須会議」[ドキドキ!プリキュア]以上。
盛り沢山のラインアップだが、わざわざ時間調整して船に乗ってまで見に行きたい作品がない。
映画好きの友人が[ねえ、ジャンヌ・モローの映画みてきたよ]という。
ええーっ、彼女まだ生きてたの?私が子供の頃もう大人だったよ。今じゃ80歳も過ぎてるんじゃない?
[うん、80過ぎて顔はミック・ジャガーになってた。でも凄いの!シャネルに身を包んで凄い存在感あってしっかり女を演じてる。もう私なんか自分が小便臭い小娘に思えちゃったよ]と60歳も過ぎた友人が興奮気味に語るのである。 見たーい!
此処にいて本編は見られないが、せめて予告編だけでもと思いネットの動画を開いてみた。
確かにすごい。もともとのへの字口がいよいよ不機嫌そうになり極め付けの偏屈婆さんである。それが昔の若い愛人に[もっと私の傍にいて!]などと堂々と迫るのだからフランス女って恐ろしい!80歳になっても痴呆老人を演じるのではなく生々しい[女]の役ですよ。これを日本映画でしたら淫靡な映像になるでしょうね。
フランス映画・邦題は[クロワッサンで朝食を] 私も本編が見たい、予告編だけでは欲求不満です。

PICT0413_convert_20131210171108.jpg

ジャンヌ・モローの[恋人たち]「死刑台のエレベーター]などを見たのは中学生の時。子供に判るような内容ではなかったが、フランス映画の映像と音楽と大人の男と女の世界に酔いました。訳も分からずに・・・・・
ジャンヌ・モローもシモーヌ・シニョレもミシエル・モルガンにしても往年のフランス女優はみんな大人っぽかったです。そして年齢を重ねることを老人になるというよりも成熟するととらえる文化があるのですね。
現代人は年齢的に昔の人の7掛けだといわれるが、私などは差し詰め5掛け、4掛けくらいでしょうか。
若いときからもっと成熟した[いい女」になる為の努力をしておけばよかった!  時すでに遅し!

ロミオとラテン

Posted by ichi姥 on   0 comments   0 trackback

前回の記事で[最近の若者は優しい」と書いたが、そのうえ一様に綺麗である。
道を行く若者たちはツルッと滑らかで爽やかである。これも生活水準の向上ゆえでしょうか。
眺める側としては大変結構!
スポーツ競技でも個人競技となれば尚更に美しいのがよろしい。技が冴えて見える。ルールも何もわからなくても美しい姿を見ているだけで十分楽しめる。昔はどんなに技術が優れていても、短躯でコロコロの姿は外国選手の前で見劣りがしたものです。今は結構太刀打ちしてますよ。
昨日のフィギアスケートの羽生結弦クン、綺麗です。壊れそうな細身の体がぐーっと反ってのイナバウアー、伸びやかなビーグマンスピン、美しいですね。切なげに眉を寄せる顔はまさに[ロミオ]です。
実は私、スケートのことは何も知らない。サルコだアクセルだといわれても、エッジの角度がどうのといってもさっぱり判りません。ただただ滑る姿が美しければ良いのです。見惚れさせてくれれば嬉しいわけです。ミーハー婆々なのです。

PICT0406_convert_20131207131943.jpg

でもここではっきり言いましょう。高橋大輔のほうが婆々を喜ばせてくれます。
高橋大輔の顔はかなり変です。歯に衣着せないで言ってしまえばアホ顔(失礼!)だと思うのですが、滑っている時の彼は[いい男]に見えるから不思議。タンゴの曲にのっている彼はまさにラテン男でなかなかににセクシーです。
そうなのです。日本の若者は綺麗になったけれど、セクシーには程遠い。でも若くなくてもセクシーな日本男って少ないですね。これは文化の違いか、歴史の相違でしょうか。
昔の物語を読めば色っぽい男たちが多々登場する。一概に国民性、文化の違いとはいいきれない物があります。戦後の復興に邁進する中で日本の男たちは色気を失っていったのかもしれない。

白玉椿

Posted by ichi姥 on   0 comments   0 trackback

椿が好きです。
5・6年前に2本植えた木が1m程の高さになって、毎年大輪の花をつけてくれる。ところがどちらも紅白の鹿の子で、これが何となくだらしがないのだ。どこか崩れた感じで品がない。不思議なものです。
去年、小さな苗木を3本いただいた。まだ30cmにもならない木に大きな蕾をいくつもつけて、今朝まっ白な花を咲かせた。美しい。気品がある。「白玉椿]とよぶことにしました。

PICT0404_convert_20131204102358.jpg

水上勉の「玉椿物語]30年以上前の作品だが題名に魅かれて読んでみた。古本なので紙焼けはひどいし、活字がものすごく小さい。おまけに面白くない。水上勉という人は終生[若狭]に拘ったのですね。
群雄割拠の時代、14代将軍をめざした足利義秋が入洛するための支援を求めて、若狭、越前をうろうろする。甥である若狭の武田に頼ったり織田信長に密書を送ったり、朝倉義景のもとへ身を寄せたりと・・・
途中ですっかり面倒臭くなってしまったのだが、若狭の山に咲く「白玉椿」だけは印象に残った。
あの時代に生き残り天下を狙おうとするならば、権謀術数、諜報活動は必至である。情報も入らない山の中で、くよくよ思い惑って右往左往しているようでは勝ち目はない。スカっとしなかったです。
作者の書きたかったことは別にあるとしても、読者としては知ったことじゃないもーん。
同じ花のつくタイトルだが[櫻守]はよかった。一生を桜に掛けた男の愚直な生き方が胸に残り、人知れず山に咲く一本桜を探してみたくなる。
水上勉自身、櫻も椿も愛してやまなかったのだろうと思われます。