網地島発 姥婆すてture・zure

島に住む染物屋の婆々が思いつくくままに

長閑です

Posted by ichi姥 on   0 comments   0 trackback

春うらら、きっと梅が満開に違いない。急がねば・・・
大急ぎでお弁当を拵えて出掛けました。私のとっておきの場所。
なんとお目当ての木は花二輪。うーん、この陽気になにをモタモタしているのだ・・・・
ぼやいてみても梅には梅の都合があるのだろう。

PICT0471_convert_20140328143534.jpg

4・5m離れた木はやっと五分咲きかしら。今日のところはこれで良しとするか・・

PICT0475_convert_20140328143754.jpg

おにぎり、卵焼き、青菜のお浸し、コロッケ、そしてノンアルビール。漁協事務所落成記念に頂いたでっかい紅白饅頭。紅白饅頭って昔ながらのお祝いっぽくていいですよね。

PICT0469_convert_20140328143437.jpg

もうおしまいの猫柳。猫柳ってこんな大きな木になるのですね。かなりへそ曲がり!

PICT0477_convert_20140328143904_2014032814453835c.jpg

PICT0478_convert_20140328144004.jpg

何事だろうと猫さんが覗きにきた。[卵焼きあげるよ]と誘ってみたのだが、胡散臭さい奴だと思ったらしく遠回りして行ってしまった。つれないなあ!

PICT0472_convert_20140328143640.jpg




スポンサーサイト

春昼や

Posted by ichi姥 on   0 comments   0 trackback

[春めく」とはまだ寒さの残る早春の季語だが、3月の半ばに大雪が降り、この寒さはいつまで続くのかとおもっていたら予告もなくいきなり春の訪れ、余韻がないです。
昨日の写真では「あと一息!」だった春蘭が、今日にはこんな可憐な姿を

PICT0464_convert_20140327143215.jpg

はびこる竹に負けたのか今年は蕗の薹が数えるほどしか出なかった。
あとはタラの芽を待つばかり。まだ一息どころか二息も三息もかかりそうです。

PICT0465_convert_20140327143315.jpg

睡魔が・・・

Posted by ichi姥 on   3 comments   0 trackback

亡くなった母が「絵描きは字描き]と、言ったことがある。
確かに、モチーフが字になるだけで画面を創ることに変わりはないのかもしれない。いわれてみれば味のある見事な書をかく絵描きはたくさんいる。中川一政などその最たるものだろう。絵よりも好きだったかもしれない等と言ったら顰蹙をかうかもしれないが、焼き物にしろ中川一政の余技はいずれも素敵でした。

PICT0460_convert_20140326122840.jpg
            (春蘭・あと一息!)
ところで絵描きが字描きなのは理解できるとして、絵描きに多くの名文家がいるのは何故だろう。
以前、小出楢重について記事にしたことがあるが、身辺雑記、幼少時の想い出、交遊録など視点が独特なうえに語彙が豊富で実にうまい文章だとおもった。
いま野見山暁二のエッセイを読んでいるのだが、これが見事なのです。何とも気持ちが良くなる。さらりさらりと書かれた行間から、その時の状況や描かれた人達の表情が浮かんでくる。取り巻く戦中戦後の絵描きたちが個性豊かというかデカダンスというか、名前だけは馴染のある絵描きが続々と登場して楽しい。藤田嗣治の項など秀逸です。
自らを意気地なしの弱虫だという若き日の野見山は、そのじつ高い矜持を持っていたと思うが柔らかいのです。目線が優しい。きっと彼の人柄なのでしょうね。絵描きなのにこんな上手い文章を書くなんて狡いです。
絵描きが何故名文家なのか・・・
これはモチーフなんて問題ではなく、絵を描くということは物の本質を見極めようと格闘し、自己の内面を深く洞察することなのでしょう。その格闘の結果、他を見る目も深くなるのでは・・・
芸術家は大変ですねえ。でも、そんな難しいことは奥のほうにズンと仕舞い込んで文章はさらり、さらり

恥ずかしながら私、難しいことを考えようとするとすぐ眠-くなる。
脳が考え事を受け付けない体質のようであります。
こんな私が埒もないだらけた文章を公開していてよいのかしら? 
 ああー、睡魔が・・・・

静かなる男

Posted by ichi姥 on   4 comments   0 trackback

ウィスキーを最初に生み出したのはアイルランド人である。
アイルランドからスコットランドへ生産技術が伝えられスッコッチとなる。もともとは大麦と水、ピート(泥炭)だけで作られたシングルモルトだがスコットランドへ渡ってグレイン(穀粒)がブレンドされ、よく知られたブレンデイット・スコッチ・ウィスキーとなった。ブレンドされる前のシングルモルトは今もそのほとんどをアイルランドと横にあるアイラ島から輸入しているという。
最近シングルモルトウィスキーが人気になり、アイラ島は[聖地」と位置づけられている。本元のアイルランドではそれぞれの蒸留所で作るには経営が難しくなり共同蒸留所になったというが、ジェイムスン、タラモア・デユーはアイリッシュウィスキー好きにとって憧れである。
以上は村上春樹の[もし僕のことばがウィスキーであったなら]からの受け売りです。
何より嬉しかったのは村上春樹がジョン・フォード監督[静かなる男」が好きで何度も観ているということだ。1952年公開の映画だから、私が観たのは4・5年後だと思うが、その時からアイルランド贔屓になった。
アメリカから故郷のアイルランドへ帰ってくる男をジョン・ウェインが演じる。フォード一家総出演の古き良きアメリカ映画です。

PICT0491_convert_20140319115830.jpg

ベトナムに介入する前のアメリカ映画は単純明快で楽しく、滅茶苦茶な勧善懲悪のもとに友情、愛を描き泣かせてくれた。底が浅いといわれればその通りだが、回りくどくなっただけで今のほうが薄っぺらくなったように感じるのは、私が年取ったせいだろうか。
ジョン・フォードが嬉々として撮り、役者達が伸び伸びと演じる。アイルランドの緑の地、特徴的な石積み、羊の群れを追う赤毛の女、鼻っ柱が強く喧嘩っ早い女をモーリン・オハラが好演している。
後生大事にとってあるビデオを久し振りに取り出した。

横にジェイムスンかタラモアがあったら完璧な夜なのだが・・・・

かなりデフォルメしてますが・・・

Posted by ichi姥 on   0 comments   0 trackback

すっかり忘れていたのだが、5年前にこんなのを作っていました。

PICT0482_convert_20140314092242.jpg

手前右に建つのが漁業協同組合、その左には小さな待合所がある。
中央の小舟が寄せてあるところがスナック[海人] 今は更地です。その後ろの家も道を挟んだ家ももうありません。左端の漁具置き小屋もない。

PICT0486_convert_20140314105953.jpg

PICT0490_convert_20140314110054.jpg

これが今日の長渡港の風景です。

3月11日

Posted by ichi姥 on   0 comments   0 trackback

あの大震災から昨日で三年がたった。
石巻でも仙台でも、福島でも、こんな所にと思う場所に仮設住宅がぎっしりと立ち並んでいる。
急場で作った住宅だから三年も経てば、傷み寒々しい状態になるのは当然のこと、毎日毎日をここで暮さねばならない人達の苦悩を思わずにはいられない。
宮城県の復興住宅は今だ3%しか実現していないという。先は見えない。
網地島の長渡港に寄り添って建っていた漁業共同組合は、あの時の津波に流され高台にある元駐在所に場所を移して業務を続けている。
残骸がいつまでも放置されていたが、最近になってやっと取り壊され新しい組合が建ち上がった。以前に比べ小さく可愛い建物だが、やっとという感じである。こちらで開業できるのも間もなくのことだろう。

PICT0477_convert_20140312111833.jpg
港の整備もゆるゆると進みつつある。地盤沈下が大きく、漁船が着けられなかった桟橋にかさ上げ工事がされ始めている。
PICT0473_convert_20140312112056.jpg

PICT0475_convert_20140312112157.jpg

網地島は震源地の真上にありながら人的被害もなく、遅ればせながらも少しずつ復興をはじめている。
ありがたいと思うのと同時に、先の見えない方々のご苦労に思いをはせる3月11日であった。

故郷忘じがたく候

Posted by ichi姥 on   4 comments   0 trackback

以前にも書いたが、私は同じ本を何度も買う。忘れるのである。
出掛ける時は車中で読むために必ず文庫本を携行する。この間の沖縄旅行では思いがけず日数が伸びたので、持っていた本を読了してしまい、そこで、買ったのが司馬遼太郎の[故郷忘じがたく候]
やはり以前に読んでました。いつも途中で気付くのですが・・・

秀吉の朝鮮出兵が失敗に終わり引き上げる際、当時日本よりはるかに高い技術をもっていた朝鮮の陶工を島津藩が拉致してきた。惨いことである。茶の湯が盛んになり信長や秀吉が部下に褒美として名碗を下げ渡したり、千利休が朝鮮の日常雑器を[井戸茶碗]と称して愛でたりしている時代です。
薩摩の地に着いた朝鮮陶工たちは苦労の末、苗代川に窯を築き御用窯として見事に[薩摩焼]を完成させるのだが、薩摩にはない白い陶石を見つけることからの苦労は筆舌に尽くしがたかったという。
やがて言語が日本に馴染んでも彼等は姓名・習慣を変えることはなかった。四百数十年の数奇な歴史である。
その歴史を今に引き継いでいるのが[沈壽官窯] 歴代の当主が沈壽官を名乗り現在の当主は十五代です。
天明二年、苗代川を訪ねた医者・橘南谿が住民に[この地に馴染んで言葉も変わり、故郷は遠くなったか]と尋ねると
「故郷忘じがたく候。]と答えたという。

PICT0471_convert_20140305175505.jpg

さて、1609年薩摩藩は琉球が行っていた明との交易を我がものとするため[琉球征伐]を行った。
琉球王・尚豊公は苗代川の陶工を琉球へ招聘することを願い出る。
これにより張献巧一六ほか二名が琉球にわたり湧田焼を始め、それが現在の壺屋焼に繋がった。沖縄の焼き物は朝鮮を発祥とするわけです。
今は知る人も少なくなった張献巧一六の墓が那覇の美栄橋の近くにあるそうだ。祖国朝鮮から薩摩へ、そして琉球へと連れられ、望郷の念,いかばかりであったことだろうか。
この事実を一か月早く知っていれば・・・