網地島発 姥婆すてture・zure

島に住む染物屋の婆々が思いつくくままに

お相伴

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黒猫の第3弾
名人のところにいた[クロ]と、ほぼ断定されました。
でも以前のように名人が手を出しても撫でさせてはくれない。一年の間に、そして網地から長渡まで辿りつく間に彼の身に何があったのか・・・・きっと、辛いこと、怖いこと、いろいろあったんだろうな。

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          (雨の日は段ボール箱にすっぽり)

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           (あー、食った、食った)

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いまや、すっかり家の猫のような顔をして一日中庭で寛いでいる。朝、寝坊の私が起きだすと[いつまで待たせるんだよ]とばかりに朝ごはんの催促、甘々の私は顔も洗わずに[はいはい]と、お給仕です。
なんたることか・・・
よく食べるのです。すっごく大食らい!
ほぼ[クロ」と認めた名人も気にかけてくれ、せっせと鱸のアラ、ちいさいメバルなどを届けてくださる。
考えてみれば、贅沢な猫ですね。猫用カリカリじゃないんですよ、毎日毎日生魚なんて・・・

お蔭さまで私も始終釣りたてのスズキをいただくことに。
私、[クロ]のお相伴です。うふっ、ごちそうさま!

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身元判明?

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黒猫さん、だいぶ気を許したらしく今朝は30㎝の距離、手から煮干しを食べてくれてそのまま暫く二人で朝の休憩をとった。
ウフッ、ちょっと幸せ。
さて、以前にも紹介した釣り名人さんから「黒猫さん]の記事についてメールをもらった。
なんと・・去年まで名人から餌を貰っていた猫らしい。名人の住まいは島の西、網地にあり直線距離にして5㎞、この道程を旅してきたのだろうか。俄かには信じ難いけれど、あまりにも似ているというので早速確かめにこられた。
なにせ野良さんのことで、いつ我が家を訪問するのかとんと判らない。結局逢えずじまいで帰られたのだが、特徴を聞くとぴったり符合するんです。背中にわずかに混じる白毛、真っ黒ではなくやや茶が掛かった毛並、乾いた鼻など[そうそう、それです」ということばかり。こんなことってあるのだろうか。

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3年前に茶トラと黒猫の間に生まれた仔で、母子ともに名人に懐き、野良なのに頭をなでられたり抱っこされたりして育ったのだとか。可愛がられ毎日釣りたてのスズキやメバルを戴く幸せな子供時代だった。
でも幸せは永遠には続かない(あー涙!)
名人は季節居住者で、寒い時期は沖縄へ行ってしまう人です。
半年間は何処かで食料の調達をしなければ生きていけない。守ってくれる人はいない。
ついに縄張りを略奪されて去年の5月からすっかり姿をみせなくなった。
野良の命は約5年とか、もう死んでしまったかもしれない・・・・
と、名人が心痛めていた折に我がブログでそっくりな黒猫さんを見たという次第であります。
ここで、めでたしめでたしというわけにはいかない確かめなくてはならないポイントがひとつ、
お腹が白いっていうのだが、私はまだそこまで見せてもらってないのよね。

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[生きていて元気でいるなら良かった]と、名人は釣りたてのスズキを置いて帰られました。私の分と黒猫さんの分。

黒猫さん

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猫で有名な島は全国に幾つもあるようです。
当然でしょう。島といえば漁業、売り物にならない雑魚を漁師さんが投げてくれたりもするから、都会の野良さんより食糧事情はいいと思う。いきおい数も増えるということですね。
我が網地島にも猫はたくさんいる。野良がほとんどだが飼い猫もいて、港の待合所へ新聞を取りに行くおじさんのお供をしているのを見かけたりもする。こういう姿は可愛いですね。
でも、食糧豊富な島といえども野良さんの生活は厳しい。縄張り争いはあるしカラスとの戦いも熾烈で、顔面に傷のない猫はいないといってもいい。警戒心が強くて絶対近くには寄らせてくれません。

我が家の庭を通り道あるいは日向ぼっこの場所にしているのは白とサバのブチ猫だが、鼻の横にあるブチが妙に哀愁を漂わせる。決して近くには寄れないけれど何枚か写真を撮らせてもらい、少しだけ距離が縮まったように感じている。
良いポーズの写真が欲しいけれど、すぐ逃げられてしまうからシャッターを押すだけが精一杯です。
暫く留守にしている間に黒猫さんが来るようになっていた。いい面構えで、おっそろしく警戒心が強く5メートル以内には近付けない。毎日魚のアラを置いて、なんとか少しでもお近付きになろうと狙っているのだが・・・・
それにしても隣の猫島[田代島]の野良たちがあれ程人懐こいのは何故なのか。猫目当ての観光客が多く、愛想をふりまけば餌を貰えることを学習したのでしょうね。
そんな学習能力があるのなら、家へ来る黒猫さん、何とか都合をつけて美味しいものを用意するから、せめて1メートルまでお願いします。
来たー!!
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昨日の残り物のフッコの刺身でつりました。
近くで見たらこの猫[おっさん顔]です。たいした傷もないところをみると強者かもしれない。

函館真景

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函館古地図マップ。
明治15年に、函館在住の浅野文輝が作成し、東京日本橋の渡辺寅蔵が発行した木版画[函館真景]は、函館市街を北東方面から見下ろす角度で描かれた壮大な鳥瞰図で、彩色も鮮やかです。同じころに写真師・田本研造が撮影したパノラマ写真も残されており[函館真景]と併せ、更に現在の様子も重ね合わせて作成されたのが[函館古地図マップ」。
函館市観光部から発行されています。

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若いころは戊辰戦争のことなどほとんど知らなかった。しかし、東北に移り住んで変わりました。
最初に出会ったのが「白河以北一山百文]という言葉。
明治新政府の薩長土肥が東北を侮蔑して[白河の関から北の土地は一山が百文の値打ちしかない」といったことに依る。以来、東北人にとって[白河の関を越える」というのは地理的なことではなく、意地と魂の悲願となった。
もともと、時代に逆行するもの、滅びゆくものに肩入れする性質なので、にわか東北人でありながら私、この言葉に悲憤慷慨するのであります。そしてこのテーマの小説にはつい手がでる。なにせ私の知識はほとんど小説から得るもので、時にフィクションに迷い込むことも多いのですが・・・
奥羽越列藩が降伏し、北海道に渡って函館戦争を戦った榎本武揚も、人見勝太郎も伊庭八郎も江戸の幕臣であるし、土方歳三は武州の百姓の出で東北人ではないが、勝ち目がないのを承知で一分を貫いた男たち、私は好きです。でも、榎本武揚も人見勝太郎も生き残って新政府に仕えたっていうのが気に入らない。違う身の処し方ってなかったのかなあ?
それに比べ死に場所を得た土方歳三は見事、格好いいです。
現在、富樫倫太郎の[土方歳三蝦夷血風録」を読んでいる。この小説、タイトルに反して土方歳三はあまり登場しません。
近々この「函館古地図マップ]を片手に土方歳三を偲びに行きたいと思っている。

川俣シャモ

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今年の個展も5月1日~6日で終わりました。

福島には応援してくださる方が何人もいて、今ではお客様というより友人か身内のようなお付き合いの方もいる。
なかでもNさんは同郷でもあり特に親しくさせてもらっているのだが、毎年美味しいお店へ連れて行っていただきます。
今年はシャモの串焼き屋さん 「陽風水 HIFUMI」

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自家農場で飼育しており、川俣町農業振興公社から入荷している。3年前の開店だというが洒落たお店でオーナー御夫婦もとても感じが良く、最近では予約をとらなければ直ぐ満席になってしまうらしい。
酒は銘酒[十四代」つきだしは旬のタケノコにアンチョビソースをのせて。
手羽先、レバー、つくねの串焼きはどれも抜群の美味しさ、手羽先はさすが川俣シャモでしっかりした肉の味、皮の旨さがたまらないです。水炊きもいただきました。シャモだけでとった出汁に最後はご飯をいれて「おじや]いいお味でした。美味しい物を戴くとき、先に写真を撮っておくのを忘れてしまうのが難ですね。

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シャモはもともと闘鶏などの娯楽のための鳥として江戸時代後期にシャム(現在のタイ)から入ってきたといわれる。
福島県川俣町は古くから絹織物で栄え、当時、機屋の旦那衆が娯楽として闘鶏を楽しんだ。そのためシャモが飼われることが多く、その名残が現在の川俣シャモの原点となっている。
そして昭和58年頃、当時の町長が遠来のお客様をもてなすのに薦めたのが川俣シャモの始まりだそうです。

いやー、美味しかった!ごちそうさま。